ひとり言の間

2011年12月21日 (水)

ひとみ

いつか瞳に映るすべてのものとともに

愛とヨロコビを生み出していけたらいいな

人間は皆、愛とヨロコビそのものになるために生まれてきたのに

いつしかその使命を見失い

いつの間にか暗く出口のない迷宮を彷徨っていた

やっと真愛への扉が開かれ

元の道に戻ってこれた

ああ、この光をずっとずっと探し求めていた

自分の中にそれはずっとあったのに...ずっと外にあると思っていた

今瞳に映るすべてがキラキラ輝いている

今なら何故迷宮を彷徨っていたのかがわかる

今なぜここに居るのか、そしてなぜ生まれてきたのかがわかる

ああ、やっと戻ってこれた

真ん中に座す心が、光がこの中にやっと戻ってこれた

真愛の扉は開かれ

疑うことのない心が素直にそれを受け容れるとき

半分づつ少しづつ

大愛の日月の大神様のエネルギーに満たされていく

そして深く高く

自我が大我に目覚めていく

そして融け入っていく

ヨロコビのマツリの和のなかに

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2011年3月18日 (金)

大切な気付き

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被災者の方々や沢山の人々の声を聴いて

改めて人の有難さが身にしみて心が洗われます。

心が洗われてると感じるこの思いは言葉では語りつくせません。

このような非常事態が起こったことで

なにかとても大切な事に気付けたような気がします。

人はいつからか上ばかりをみて生きてきた気がします。

何に対しても一番を目指し、良い生活を目指し、

正座から椅子の生活になり、布団からベッドになり、

高層ビルや高層マンションを目指し、

常に高くアンテナを張って情報を得て頭を使うことばかり追いかけて、山の手に家を建てて

など上げれば切りのないほどに...

どうして足元を固めることを忘れてしまっていたのだろうと

どうして、お土を踏みしめることから遠ざかってしまったのだろうと

今一度、足を地に付けた生活に戻りたくなり

今の生活を今から少しづつ改めていこうと気付かせていただきました。

そうすることでひとりひとりのこころの根っこがみな繋がっていることに気付けるかもしれません。

映画「アバター]のように...

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2011年3月13日 (日)

地震の暗示

皆さまはご無事でしたでしょうか?

地震の2日前より10:10という10のぞろ目を良く目にしてました。

ぞろ目を見ることはよくあるのですが、

今回はじめて10:10のぞろ目を見ていましたが

その意味はわかりませんでした。

そしてこの地震。

では10の意味は?

「10=十 (漢数字)=縦と横の交わり=天地のシンボル=火水」

つまり火と水(津波と火災)によって天地の大掃除が行われるということの暗示だったかもしれません。

ぞろ目はいつも何かを知らせてくれるものでした。

数霊も色霊も音霊も。。。

こじつけに思われるかもしれません。

しかし、みんながアンテナをお持ちでなにかしらの暗示があったでしょう。

必要がないと思えばこの世の出来ごとにはどれも意味がない事になるでしょう。

しかし、それなら私達の存在の意味もなくなります。

何かいつもと違うなあと思う事には意味があると思って気に留めておく事は大切だと思われます。

なぜなら、これから何が起ころうとも受け止めて覚悟をするために。

そして様々な情報に惑わされずに真偽を見極めるために。

例え、それを望んでいなくても知らされることに意味があると思うから。

その何故に気付くことで今まで見えていなかった世界が見えてくることを信じて

目を開けて。

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2011年1月 9日 (日)

セドナ

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アメリカのグランドキャニオンより南のアリゾナ州へ向かって下ると「セドナ」があります。

13歳だった頃にその雄大な砂漠の中を高い岩谷がそびえ立つのを目の当たりにしながら、インディアンの聖地であった事を知りました。

その頃に感じた聖地のエネルギーはわかりませんでしたが、
グランドキャニオンは上から谷間を見下ろすのでそれは正に自然を俯瞰して見るという深さとスケールの大きさが伝わってきます。

そしてセドナはグランドキャニオンの逆で砂漠の地に立って岩山を見上げる形になり

太陽の照りつける暑さのなかで見上げる岩山の遥か彼方には太陽が広がっていて足が地についている感覚をはっきり感じさせてくれます。

正に都会の文明からは逸脱した世界が広がっているのです。

スピリチュアルという英語さえ地元で聞いた事のない時代の中で、それは言葉ではなく感覚がとらえ記憶していた感受性でしょうか?

その時どう感じたかは全く覚えてません。しかし目を瞑ってその時撮った写真から記憶を辿ると、感じてきます。

強い強いエネルギーです。何もわからなくてもそこに居ると自然の中に耳を傾けさせてくれます。

自然が何かを語っているようです。耳を済ませば聞こえそう…?

自然の中の空気が、風が、暑さの旋律が額のサードアイに響いてきます。

この自然と調和する感覚を都会の中でも忘れずに生活に合わせて生きていこうと思いました。


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2011年1月 7日 (金)

機械式時計

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私はマニアではありませんが実は機械式時計が大好きですはじめての就職先も迷わず時計業界を選んでいました。

正確には貿易(並行輸入)業でその当時はバブルで

時計はさりげないステイタスアイテムのひとつ、

男性に限らず、女性も高級時計を身につけていて、特にカルティエ・エルメス・ブルガリ・オメガ・ロレックスが大人気

私はデザインの勉強もしていたのでファッション関係には非常に敏感で当時はブランド大好き人間でした。

無我夢中でした。仕事と扱っている商品が大好きで毎日12時間以上仕事をしていました。

入社して9年後に体調がかなり悪化して退職をして休養に入り、回復した3年後にまた再採用させていただいた程、時計が大好きでした。

機械式時計の指先で時計のリューズをジーコジーコと蒔いて動き出す姿にはクオーツでは味わう事のできない愛おしさと時計職人の素晴らしい技術を堪能できる面白さと楽しさが共存するのです。またフェイス(文字盤)の精巧な模様や針の動きなどをルーペを使って検品したり、眺めたりすることも大好きでした。

そして時計の中の時計で、今はその名を広く知られるようになりましたが、

当時は知る人ぞ知る、小さな針一本から全てのムーブメントを製造し組立てる時計メ―カー

「ジャガールクルト」のレベルソは私の憧れの時計でした。(同じルクルトファンの友人に教えていただいて、私の携帯の待受画面はこのルクルトのレベルソが時計を刻んでくれているのです)

ルクルトの素晴らしさを知り尽くしていただけにルクルトは当時日本では知名度がなかったにも関わらず、熱く語ったトークが効を成したのでしょうか?好きな時計ほど熱が入りますのでおかげ様で良く売れてくれました


そのルクルトがその昔、ムーブメントを供給していた「カルティエ」は日本でも知名度が高く

現在でも女性の心をくすぐって止まない時計のひとつですね。

そしてとうとう疲労で(休みなく働きすぎたのかな?)また体調が悪化したために退職をして時計業界から退くことになりました。

その後元気になってから水晶に出会いジュエリーデザイナーとして起業する道へと開かれていくのですが。

そんな中で、出会った大学生の若者と時計の話をする機会があって

私の知ってる時計の話をすると目を輝かせて、「今はこのクオーツだけど就職してお金ができたら絶対に自動巻きが欲しいです」って、そして

「また、時計の話をしてください」って、男の子は時計が好きなんだ!って嬉しくなりました

わたしは今でも機械式時計のあの複雑でしかもミクロの世界の小さなムーブメントをひとつひとつ手作業で組み立てる職人芸には脱帽してしまいます。

少しでも歯車のくぼみの大きさが違っていたり欠けてしまうと全ての歯車は噛み合わなくなり時計は動きません。ひとつひとつのパーツが他のパーツとピッタリ合わさって調和してはじめてその時計に息が吹き込まれます。

テレビでスイス(機械式時計はスイス製のものがほとんど)のバーゼルフェア(世界中からバイヤーやセレブの集まる高級時計の展示会)の様子が放送されたり、スイスの時計職人さんが紹介されている番組があると電気屋のテレビであっても前に立ちはだかって見入ってしまうほど。

癒されます。女性らしくない?(かな〜)

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2011年1月 2日 (日)

喜びの言葉

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新年明けましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

年賀状はいつも喜びの言葉で満ち足りています。

本年も喜びと思いやりの言葉だけが自然に出てくるような成長をさせていただきたく思います。

何があるかわからない人間の一生ですが

何であれ受け入れてはじめて開かれていく道に対応して、

生きていくための知恵が生み出されていくでしょう。

知恵はまた「浄化」によって更に高次元の理知へと結びつき

より確かなものへと上昇していくのでしょう。

喜びの言葉が心の底から水が溢れるように出てくるようになれるといいな。

浄化ができて、謙虚さを学び、そうすると、喜びの言葉は自然に出てくるのだと思います。

今年はロシレムやその他、水晶や石が教えて導いてくれた、

目に見えない「浄化」と「謙虚さ」をテーマに「浄化」のもたらす目に見えて開かれていく人生の道という私の嬉し悲しの体験話を比喩的にまたは現実的に、

講話ならぬ幸話にして綴って参りたいと思っております。

本年も皆さまにとって幸せ多き年でありますようにお祈り申し上げます

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2010年12月17日 (金)

夢の中で

あれから、

「おかあさん」と呼ぶことのなくなった日から11年の年月が流れました…。

母に親孝行できなかった事を悔み、

喪失感のなかで、涙が涸れるほど泣いて次の日も母の居ない同じ朝を迎え、

そしていつの日かやっと気づく時がきました。

いつまでも悔んでいてはいけない。

しっかりと自立しなくては母に申し訳ない。

母はあの世で私を心配しているかもしれない...

そう思うと同時に天にむかって、

「お母さん、わたしはもう大丈夫だから私の事は心配しないであの世にお帰りください」と。

その次の日は私の尊敬する友人と会う約束をしていました。

そして会うなり、こう言われました。

[君のお母さん、今朝、夢の中で眩しい光になって現れて、

「○○(私の名前)はもう大丈夫のようだから、私はもういきます。」

と言われて上に昇って行かれたよ。]と。

この時、私は驚かず静かに友人の言葉を受け容れ、

そして、昨日母に別れを伝えた事を話しました。

この友人からはそれまでにも母からのメッセージを実はたくさん受け取っていました。

不思議なことはこの時始まったのではなく、

もう随分と前から友人を介して私に起きていました。

そしてようやく私は、母が何を伝えたかったのかを理解したのです。

あの世、見えない世界は存在するのよという事を、

友人を介して私に教えてくれていたのだという事を。

そして長い間母の便りを伝えてくださった友人に感謝いたします。

ありがとう

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2010年12月13日 (月)

不思議なご縁

私は杉並区の阿佐ヶ谷で幼少を育ちました。

5歳に満たないまでしか居りませんでしたが、

その幼い目線から見たこと行ったことなどをとても鮮明に覚えています。

返ってその後の思い出のほうがおぼろげで、

乳母車に揺られて見た景色を今も思い出す事があります。

以前、私の産土様(生まれたときから死ぬまで守護してくださる神様のおいでになられる神社様)を調べていただくと

杉並区の大宮八幡宮だと言われました。

それを証明できるものもなかったので、

受け容れただけで、すぐにお参りにいっておりませんでした。

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すると最近になって(2年経って)、

お仕事で高円寺に行くご縁ができました。

高円寺が杉並区であることも知らず、また

阿佐ヶ谷と一駅違いとも知らずに

高円寺に着いてから、同じ仕事先の方が阿佐ヶ谷からお見えだと知り、

自分が生まれ育った場所はこの近くだという事をはじめて知りました。

そうしてそれから一週間ほど(11月の中旬近く)経った頃でしょうか。

何気にふと、産土様の大宮八幡宮のことを思い出し、

地図で調べてみると、

なんと記されていた道案内は阿佐ヶ谷からではなく

高円寺駅からバスに乗っていく道順でした。

だから「神様は高円寺にお導きくださった」のかもしれないと思いました。

そして次の日に行ってみようと思いたったのですが

その日はJRの電車が大幅に遅れ、その後の仕事の時間になってしまい、

参拝することはできませんでした。

もしかしたら、その日、神様はご不在でいらしたかもしれません。

(後から、分かった事ですが11月は旧神無月だったようです)

そして12月に入り、6日(月)の朝は妙に目覚めが良くて

時間も早かったので、「今日お参りに行きなさい」という事かな、と思い

支度も済ませて、電車に乗るととてもスムーズに

待ち時間もなく導かれるように大宮八幡宮へ辿りつきました。

この日に神様はお戻りになられていたのかもしれませんね。

そして産土の神様との初めてのご対面でした。

自己紹介をしてから、ご無沙汰していたご無礼を申し上げ、

心の中で祝詞をのりあげ、感謝の気持ちを祈りの言葉に託しました。

私の中ではとても大きな大きな神様でした。

「又来させていただきます」とお伝えして産土様を後にしました。

このようなお導きをいただいたということは、

私の産土様なのでしょう、確信はないまま、しかし、何かご縁はあるのだと思いました。

しかし、このようなお導きがなくては、私ははい、そうですか。と何でも鵜呑みにして信じてすぐ行動することはありません。

必ず、そしてこれは一二三廊にお越しの皆さまにも伝えさせていただいていることなのですが、

自分自身が体験するまでは、私が言うこともどんなことも鵜呑みにせずに(その姿勢を相手に露骨に出すこともしませんが)

「ああ、やっぱりそうなのですね。」と自分で体験して納得してはじめて

真実を見極められるようになっていくことが大切だと思います。

産土様に伺ったときには緊張も伴い、私が一方的に話していたということもあって、腹に力が入ったという感覚を覚えていなかったので(私の見極め方ですが)

もう少し、参拝を重ねてみてどのようなご縁があるのか本当に産土様なのかを見極めていきたいと思っています。

嘘でも真実でも自分が体験してはじめてそれらを見極めていけるようになることが大切だと思うから。

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2010年12月 5日 (日)

言葉の奥深しさ

一語で万語を表わす言葉の無限大な可能性。

多くを語らなくても通じ合えることがある。

ふと相手の語る言葉から、その裏側にある本来の言葉が見えてくる。

そして相手の言葉を受け容れながら

静かに相手の気持ちに溶け込んでいく。

言葉は多くは要らないのかも知れない。

一語伝えるぐらいでちょうどいいのかもしれない。

わかってもらう為に使う言葉は要らない。

紙一枚でも表と裏があるように言葉にも表と裏があるから

その両方をもたらす言葉なら、与え語らさせていただける数は限りない。

だけど伝えたい言葉通りに相手に伝わるとは限らない。

しかし、それでもいい。

無理に伝えなくてもいい。

人はそれぞれの解釈があるからこそ

一語で万語を語れるのだから。

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2010年11月11日 (木)

「石」の日

今日は11月11日で1が4つあります。

イシ(石)の日です。

そしてアトリエ一二三廊の開店日でした。

その時は気づかなかったのですが

こんな偶然な数合わせもあるのですね。

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