気づきについて

2012年1月13日 (金)

他人では無くて自分

他人のことは見えても自分のことは見えないもの。

他人は自分でもある。

見えることは自分の思いにあるもの。

他人のことをあれこれ言うのは簡単だけど

自分の囚われや我欲には蓋をする。

他人のことが気になる前に

自分に向き合おう。


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2011年12月14日 (水)

うれしうれしの道

うれしうれし。

あなたもわたしも大きな大きな愛とヨロコビのエネルギーに包まれ生かされている。

溢れるばかりのヨロコビのこころが
果てしなく遠く深く広く響き渡る。

ひとりひとり皆が尊い役割を持ってこの世に生まれてきたの。

もう悩まなくてもいい。

すべての苦はあなたが神の道を外れたというお知らせだから。

もう人を悪く思わなくていい。

その人はあなたにそれをただ伝えてくれているのだから。

人、物、事の不都合はただ自分を命(ミコト)成らしめるためのお計りがあってのこと。

すべては必然。すべてがお知らせ。

道をもどれるように苦を解いて

よろこびの想いに結びましょう。

大日月地の大神様。

すべての人間がこの世に与えられた尊い役割を果たすために。

うれしうれし。うれしうれしの道。

弥栄ましませ。

弥栄ましませ。

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2011年11月17日 (木)

顧みること

自分が不都合に見舞われたとき自分を顧みてみましょう。

例えば、ふと我慢できずに言い争った時、はっと我儘をぶつけていた事に気づいたり相手の事に無関心でいる自分に気づいたりします。気づいた時からあなたの心は開かれていきます。

この時から相手に新たなメグリをつくらせない為に、そしてまたあなた自身も言い争う事で穢れないために、あなたの自我を最後に控えて相手の思いを優先させることが大切です。

かといって無理して悪事をすると言う事ではありません。悪を悪いという判断をするとき私たちは自分が正しいと思っていると言えますが人を裁く心が悪でもあると言えます。悪と判断することは善悪と分け進む囚われた身となっている証だとも言えます。

まことしやかに事を成すとはそこに善悪の判断すらありません。そしてどんな出来事も有難く迎え入れられることでもあります。

でもどうしても分からなくてできなくて辛いとき真っ先にまず艮金神(ウシトラノコンジン)様に自分の行いをお詫びしましょう。何を改めなくてはならないのかが分かります。

神の理は秩序でもありますすのでまず始めに何をするべきかを知るだけで物事は大きく変わるのです。

物事の順序がわかると外れた道の因果が見えてきます。外れた道は必ず行き詰まるのでそれがあなたへのお知らせになります。神様からの白紙の御手紙を受け取ったのです。

行き詰まると自我はあなたの中で表に出ようとウズウズし堪えられずに自ら解き放ったり病気になったりしてお知らせが届きます。このように届いたお知らせを有り難く受け取り顧みて努力によっていただいた白紙の御手紙はあなたがあなたを浄化するために御守護くださいます。あなた1人では浄化する事は大変ですので神様の御守護の元で調和の秩序を理解し向上の学びの道を行じていきましょう。

あなたが変われば自然に回りが変わり、そして日本が変わり世界が変わっていけるでしょう。これが三六九(ミロク)の仕組みの一面です。

この道は無理に説く必要がありませんので教えではなく行じる道ですのであなたの行いが効を成すというものでもあります。説き伏せたり征服しようとすると行き詰まりますから、生かされてるままに全てを生かすことが私たちの生き方であり仕事だとも言えます。

型にはまることを「固まる」と言います。自我の一面は固まることなので必ずそれでは行き詰まってしまいますから、言葉を話すは「放す」と言って自我の固まりを解き放つために言葉で放すこともあります。

本来は固らなければ言葉で「放す」必要が無くなるので良い響きの言葉しか必要でなくなる、という道理だという事に気づけますね。

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2011年5月23日 (月)

「シンクロ二シティー」

「上の、より高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのち゛ゃ。神からの現われであるから、その手順が判らんから偶然と見えるのち゛ゃぞ。偶然の真理さとれと申してあろう。これが判れば大安心。立命。」(ひふみ神示)


この偶然の一致や予知など一般の人でも経験する「うわさをすれば影」や「虫の知らせ」のような出来事のことを心理学者であったユングは「シンクロ二シティー(共時性)」と名づけました。

シンクロ二シティー…この言葉をはじめて聞いたのはスティングの歌でした。もう30年も前ですね。あの頃はPOLICEのスティングのファン(歌のこと)でした。

だからこそこの言葉は印象深く心に残っていて、それが現在ユング心理学を通して、その深さを知ることになったのもシンクロ二シティーでしょうか。

ユングは生涯西洋の人々には理解のできない世界観を持ち続け、それを裏付けてくれるものとして曼荼羅や東洋のタオ(道)学の存在を知り、その世界が自分の求めていた「自己性」(自分の内側にあって、外側にもあり、それらはお互いに関連しあって自己を形成しており、またその自己は過去、未来、現在の自分と繋がっていて、その根っこでは他のあらゆる存在とも繋がっているというもの)をそこに見出したのだと言われています。

こうしてユング心理学は現在のスピリチュアルと言われている世界にまで言及しています。今や、スピリチュアルという言葉は一般的ですが、ユングの時代はまだ少数でした。

そしてこのシンクロ二シティーという現象をユングは次のように分類して説明しています。

1.自分の内面とそこで起きた外側の出来事が一致する場合:
例えばその友人のことを考えていた時にふいに電話が鳴ってそれがその友人からだった。

2.自分の内面と離れた場所で外界の出来事が一致する場合:
透視や千里眼など。

3.自分の内面と未来の外的な出来事が一致する場合:
夢で見たものが現実の世界で本当にあったり(正夢)、予知夢を見るなど。

これを「偶然よ」とか「たまたまよ」と言ってその経験を気に留めないでいることがありますが、次回より意識してみる練習をしてみてください。何か意味のある偶然だという事がわかります。

その偶然から目をそむけなければいつかその意味がわかる時がくるのです。


これらの現象は実際にユングの接していた精神病患者(彼は医者でした)にあったり、彼自身が夢のなかで見たものでした。

精神分析者のように全てを分析することをせずに、クライアントが経験した内容についてどのように感じたかを引き出してクライアント自身を「自己性」の世界にいざなうことがユングの療法でした。

しかし中には頑なにその世界を信じない理性の強いクライアントもおり、そのクライアントは夢の中で、ある人からスカルべ(甲虫―古代エジプトでは縁起のよい虫)の形をした宝石をプレゼントされたと語っていました。その時ユングは「この人の理性の殻を破れるシンクロ二シティーが起こってくれないだろうか」と思っていたところ、診察所の窓になにかがぶつかる音がして、見に行くとなんと甲虫の一種がそこに現れたそうです。

その甲虫をみて、そのクライアントの理性は即座に割れて、それからはスムーズに治療が行われたそうです。

このように現在ではカウンセラーという言い方をしますが、心理カウンセラーは大変スピリチュアルな世界にまで言及しています。西洋と東洋の融合が実現したと言えます。医療の世界でもこのように近い未来には変化していくことでしょう。


ここまできたのですが更にこれにもうひとつ加えて参道(三つの道)としていかなくてはなりません。2つの道では行き詰まってしまいます。それがこれから導かれて起こるシンクロ二シティーから生まれる世界だと思っています。皆様とともにそのためのシンクロ二シティーを起こしてみましょう。

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2011年3月31日 (木)

日出る国の民たちへのメッセージ

天からのメッセージを受け取る事が出来る方の書かれたメッセージだそうです。
長文ではありますが、ご紹介させて頂きたいと思います。




『日出る国の民たちへのメッセージ』

日本よ
日本の民よ
日出る国の民たちよ

地震多き原発多き島国にて
まるで龍神の背の上で暮らすかのごとき
暮らしを選んだ勇気ある民たちよ


見たこともないすさまじき未曾有の試練を
意識もしない魂の底で
実は受け入れていたあなたたちよ
あなたたちの誇り高さを称えます


大変な犠牲もありましたが
その者たちも瞬時に光となり
さらなる被害を食い止めようと全力で働いています


まだ肉体あるあなたたちが
そんなことでどうするのです


恐怖の連鎖に飲み込まれてはなりません
怖れや不安や緊張やパニックに便乗してはなりません


あなたたちはなんのために
今まで長い時間をかけて自分のことを癒して来たのですか
沢山の内なる浄化を続けてきたのですか
なんのために眠れる力を目覚めさせてきたのですか
沢山の人に助けられてきたのですか
集団の祈りの力を信じれるようになってきていたのですか



今のためであった
それを感じるでしょう


不吉な予言の奥を見なさい
そうならないようにするために予言はある


今こそ
祈りなさい
歌いなさい
手をとりなさい
力を合わせなさい


政治的な大事な決断する人の意識に届くように
瓦礫の奥で助けを求めてる人を
誰かが偶然のごとく見えない力に導かれて見つけ出すように
原子炉がなんとかもちこたえるように
風向きが最も被害少なき方向へ流れるように
救助しやすき天気になるように
祈ることは山ほどあろうぞ


地震前のあなたたちの俗っぽい悩み
全てぶっとんだであろう
いつも変わらぬ毎日
全てくつがえったであろう


政治批判をしてきた者よ
衣食住が今まであっただけでもなんとありがたき政策か
電気のありがたさ
ガスのありがたさ
水のありがたさ
屋根ある家のありがたさ
身に染みたであろうぞ


今体調が悪い者よ
誇りなさい
あなたたちは自分の体を使い
被害の何兆分の一かでも
身をていして
引き受ける勇敢な者たちなり


たった一日で
全員が真実をみたな


そう
ほんとうに大事なのは
生きること
出来れば大事な人たちと
出来れば少しでも多くの人たちと
生きて笑えること 笑いあえること それだけだな


連絡が滞ってた人に連絡をしたであろう
大嫌いだった人の安否も気になったであろう


そうあなたたちは愛のかたまり
いつだってほんとはそうであった


思い出して


あなたたちは
自殺したい時であろうが
誰かを殺したい時であろうが
いつだって
愛そのものであったことを


日出る国の民よ
あなたたちは集団覚醒した
それぞれが
微力であろうとも
それが重なり合えば
まばゆき光となりき
強大な熱を持ち
エネルギーとなり絶大なるパワーを放つ


届かせよ
出来るだけ遠くまで
祈れよ
感じるままに


最大の窮地
それぞれが
それぞれに
限界だと思うもうちょっとだけ先まで
どうか持ちこたえよ


今こそあなたたちが望んだ世界が始まるのだ
見届けよ
最後の一人となろうとも


大和魂 復活の時きたれり
一人でも多くの手をとれ
サポート多きあることを信じなさい


われわれも
伴にゆかん


天岩戸は開かれた


日本よ
日本の民よ
日出る国の民たちよ


世界を照らす
地球を照らす
太陽となれ

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2010年6月29日 (火)

苦難と気付き

長年苦難を味わいつづけました。

与えられた環境を理解できずに苦難する毎日で、逃げようとしてもまた似たような環境に戻される時期が続きました。

するとある日、逃げるなという感覚に目覚めて、環境や状況が何であれ、そこに芽生えている苦難そのもの、つまり自分自身が苦難と思う思いこそが乗り越えなくてはいけない自分の短所なのかもしれないと気づかされました。

そこで自分の身の回りに起こる事には全て意味があり、その環境を最善と思って受け入れてみる事にしました。

気付きの記しとして神様はそれが合っているとご褒美をくださるのだと言う事も知りました。間違っていると環境は変わりません。

そうして気付きが合ってるのか間違っているのかが判るようになり自分の行いを絶えず省みて反省するようになりました。

しかし最近また大きな変化があり、今までとは違う気付きありました。

ずっと省みたのですがどれも的が外れていたようでなかなか気付きを得られずにイライラして心は乱れ環境は更に悪化していくように思えました。気持ちが焦り自分が自分でなく、何かに怯える毎日になっていきました。

そうなると、折角安定していた心構えは崩れて、自分のミスで皆さまにご迷惑をお掛けするというミスが相次ぎ自分で自分が何をミスするのか怖いという感情が強く芽生え、更にミスを隠すためのウソまで咄嗟についてる自分が居ました。

自分で考えても悩んでもそこに自分を守ろうとする自我がある限りはその環境に置かれた本質(運命みたいなもの)が見えてきません。もがけばもがくほど同じところを堂々巡りしていきました。

嘘をつく自分を恥じて、キリスト教ではありませんが、神様に懺悔していました。そうして自分で自分を認め、受け容れ、今回の気付きを教えてくださいと神様にお願いしました。

するとふと舵取りしようと思わずに無理せずに自分を守ろうとするエゴをすてて与えられた環境に身を任せて見ようという気持ちが湧いてくるのでした。

そして口も災いの元だったことに気付かされます。言葉は歓喜のために与えられているのに、それを汚い言葉で穢してしまうとそれを発した人にそのまま戻り、トラブルが絶えなくなる事も分かりました。

環境が悪くなると私は黙って居られなくなり、人に話してしまっていました。

しかし、私の本当の気付きはそれを口に出すことなく自分の中でその環境と人間関係に溶け入り、浄化させていくことで静かに黙って乗り越えるという事でした。そして状況が変わると嘘をつく自分を認識し恥じて置かれた環境によっては自分を守る防衛反応が働いて、誠実に生きることが決して簡単ではないという事も改めて理解しました。

流れの変化の途中、渦巻きの中をいくら舵取りしてもそこから出ることは難しいものです。そんな時はじっと自分を殺して、その状況の中に溶け入り信じて身を任せてみると、一度はひどく悪化して又間違っていたのかとがっかりするのですが、その翌日からまるで何事もなかったかのごとく荒れた海は波のない晴れた世界が広がっていました。

そこで「ああ、そう言う事の気付きだったのか」と気付けた時のありがたさは言葉ではとても表現できません。

見えない存在は見えないだけに手ごたえのあるはっきりとした感応があるわけではありませんが、(私には霊視も霊感も霊能も霊聴もありません)気付きが合っていると確実に良い方向へ変化があります。

そしてまたその時はじめて気付きました。人は人と接することで気付きを得て成長していけるのだから、世捨て人や上に立つ人間としてその地位にあぐらをかいている人には経験できないのだと。

長い間、私もあぐらをかけるほど偉くも有名でもありませんが個人事業家として自分の好きなように生きてきました。そして気の合う人ととしかお付き合いはありませんでした。

しかし全ては上から下へ流れていくので下にいなければ、つまり、腰が低いほど上からの気付きが与えられるという事を知りました。だからこのような環境に置かれたのですね。

気の合わない人とも協力して仕事をしていかなくてはいけない中で新しい気付きをえられた上にいつも腰を低くする事の大切さを学びました。

状況を変えられるのは、自分を無くすことで違ってくるでしょう。

なぜその状況に身を置かされているのかはやはり自分が招いたものであるという事を認識(たとえ記憶がなくても、現れている事がゆるぎない事実だと理解する)できるようになれば必ずそこに迷惑をかけたことに「すまない」というお詫びの言葉がでてくるようになれると自然と謙虚なこころが生まれてきます。

人生は苦難だらけだと言いますが、それはただ自分が迷惑をかけたことへの巡り合わせであって、謙虚になることへの大いなる気付きを与えていただいているのでしょう。

苦難は人間として道を外れたことへの気付き。

すべてはこの世に目に見えるように現れているという事ですね。

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