生きる道について

2011年11月 1日 (火)

心が元、その後型示し

心にあるもの・思うものが
形として具現化されます。

あなたのこころにある世界が外の世界として現れてきます。

「もしもこうなったらどうしよう...」と思うとその通りの不安や恐怖が起こります。外の世界は自分の心を映し出す鏡ですね。表の世界は裏の世界を教えてくれます。表裏一体の合わせ鏡です。

ヨロコビの心しか持たないものにはヨロコビしか現れない」という本当は嬉しい道理なのです。

しかし例えば放射能は危ないと思うと、身体という物質上では危険に違いありませんがこの世には秩序の掟があり、その順番・順序を取り違えているために心が不安に囚われています。

順序とは全てあなたに起こる現象はあなた以外からもたらされるのではなく、あなたの心が、あなた自身がもたらしていると言う理解です。

するとあなたの心は現象として目に見えてしまうのでそれに気づきながら自分を顧みて恥じて心と口と行いが一致する努力をしながら自分の中の嘘を吐き出していきます。これを身霊磨き、浄化と言います。

人間は本来は気の生き物(元気=元の気に返る)。「病は気から」は例えではございません。

気が健全(不安のないヨロコビだけしか思えない元気な心)であれば

物質上の問題は身体に影響を与えることがないというのがまた秩序でもあります。

秩序を重んじる心とは調和のために皆のヨロコビだけを思える心。

あなたのヨロコビと幸せはこの思いからあなたがあなた自身で作り上げる世界です。

心に思う世界が現れるのです。

幸せは只全ての者に感謝し笑い助け与えるために生きるヨロコヒ゛の心です。

善悪と分け進む心がなくなり、仲好い人や弱い立場の人ばかりでなく苦手な人とこそ何を言われても笑って助けることのできる人。

善悪も共に抱き参らせるこころがすべてを幸せにしてくれる。

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 「キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、

心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、

キは (よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、

うれしキは うれしキことうむぞ、

かなしキは かなしキことうむぞ、

おそれはおそれうむぞ、

喜べば喜ぶことあると申してあろがな、

天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。

この道理わかるであろがな。

爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、

ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。」


 【ひふみ神示 [第08巻 磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 全廿一帖]】

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2010年10月31日 (日)

魂の財産

お金の財産は目に見えますが
魂の財産は目には見えません。

それは経験を乗り越えた分だけ糧となってあなたの中の苦しみを越え、喜びも苦しみも溶け合った無の世界へと誘ってくれるものです。

それは常に神を讃え神によって全てが存在してる事の理解を超越した意識です。

そこここには常に神の存在があり、

神は人とその生活に大変近い存在だったのですが

人はある時から思考する事を覚えたことで神よりも優れてるという傲慢なエゴイストへと知らぬ内に変化していきました。

人は思考するほどに神を遠ざけるようになってしまったのです。

思考から得られるものは目に見えるお金の財産など。それ故にそれは限られた次元だけに許された有限の喜び。

この世ではお金の財産を得るのも大変です。またお金は無いよりある方が便利な世の中です。

しかし思考は神の秩序に真っ向から対立したエゴを生み出してしまいました。

正しいのは人間だと思わせる危うさを持ち合わせて神の存在を逸脱させていきました。神から遠ざかるという事で人は不安という新たな感情をもまた生み出してしまいました。

そして人は長い間、自我に支配された思考が正しいとして教育されます。それを覆すのは容易ではありません。

しかし魂の財産は思考を駆使して得られる財産よりもはるかに得るのが難しいものです。

なぜなら魂の財産は無限で永遠に増えていくものだからです。目に見えないからそれは無限でありまた永遠に得るのが難しくもあります。

思考しては得られぬもの。

思考を止めて無の状態で生活していく中で

人は自らの思考によって生み出したあらゆる感情を越えた経験ができた時に

はじめて次元を越えて胆を据えていくことで安定した目には見えない魂の世界を理解していきます。

その理解が財産になります。

そして魂の経験によってそこには幾通りかの理解(解釈)という段階があります。

理解を取り違えて間違ってしまうこともあるでしょう。

しかしそれでも思考せずに身を委ねて生きる経験を積む事で

やがてひとつひとつレベルアップして上位の意識(神)の意志に近づけていけるようになるでしょう。

さあ、あなたも限界のある思考を少しだけお休みさせて

次元を越えた無限で永遠の感覚にしばし身を委ねて見ましょう

その感覚はあなたの中にあります。神との繋がりの何かがあるでしょう

一二三廊ではあなたが無の感覚に気付いていただくために石に手伝ってもらい、

無になって感じる石のエネルギーをご体験頂く「石道」の世界をお楽しみいただけます

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2010年10月30日 (土)

張りつめた紐

まっすぐに張り詰めた紐のように一寸の遊びがない状態には緊張感だけが続いていきます。

まじめな人ほど、完璧さを求めるゆえに自ら緊張ばかりの苦しみを生み出してしまっています。

少し、紐を緩ませてあげるように

自分の気を緩めることに気付いてあげてほしい。

どんな仕事にも苦しみがあってその後にヨロコビや達成感があるもので、

仕事を楽しくするか、苦しくするかはあなた次第。

その仕事があなたを選んだのではなくて、Yesと言ったその瞬間から、または関わることになった瞬間から様々なリスクと共にそれを受け入れその時からあなたの試練が始まることを実は今のあなたが自ら引き寄せ選んだのです。

仕事だけに限りませんが人の成長の場というのは楽しいものではなく苦しみを伴うものです。また仕事によっては様々なリスクに遭遇したり、自分の失敗から皆に迷惑をかけて落ち込む事もあるでしょう。

しかしだからこそその仕事によって人は人として成長していけます。

しかし私達はその仕事は嫌だとか、人間関係でいじめられるとか、自分にとって不都合だと思うと

そこから逃げる道しか思い浮かべなくなってきます。

他にもっと自分に合うところがあるはず...と思いたくなります。

本当にそうでしょうか?

私はそれを経験したひとりとして、

決してそうではない事を嫌と言うほど身をもって体験してきました。

嫌という事に逆らわずに適応していくことができなければ

その「嫌」はあなたの試練として、あなたがその「嫌」を乗り越えるまで永遠に繰り返し巡ってきます。それは神の秩序の元に逃げられないものなのです。

嫌だと思ったら、それはあなたの試練だと思って、それを受け容れて、そして乗り越えて、何とも思わなくなるまで続けていくしかそれを卒業することはできません。

はじめは安易ではありませんが、そのような癖ができてくると徐々に物事に対する好き嫌いがなくなってきます。

なぜなら、嫌と思った瞬間から、その気持ちを乗り越えるという新たな必要のない試練の苦しみを自ら生み出してしまうので

好き嫌いという感情を超えて、何事に対しても受け容れてそれに適応していくための平等で安定した胆の据えた心構えへむけて変化してくるでしょう。

大切なのは目に見える事象(仕事や人間や結婚・離婚や家族など)よりも

その奥にある見えない絆や縁、そしてそれらを受け容れ適応していくことで人としての成長があると言う事だと思います。

見えることはその為の手段にすぎません。成長のために与えられたステージです。

見えることに拘ると張り詰めた紐になってあなた自身を苦しめてしまうので、

その紐を少し緩めて遊びの部分、つまり遊び心(想像力)を作れるようになりたいですね。

そうするとその遊び心(想像力)があなたに新鮮で新たな息を吹き込んで

続けることへの緊張感や圧迫感からあなたを解放して息つぎをさせてくれます。

緊張感は必要ですが偏ると気持ちはいつまでも安定してくれません。

息つぎという遊びを相互的に行う事でバランスを保つことが

どんな仕事でも楽しめるようになるための秘訣です

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2010年9月10日 (金)

食べないで食べる方法

木の実には禁断の果実。

それを食べずに食べる方法。

禁断の果実には禁断である役割が与えられているのだと知っているから

騙されて騙されない。

身(相手は騙したと思って喜んでいる)を喜ばせて

騙されるふりをする。

それが食べないで食べる方法。

悪を悪ではなく、悪という役割であることを理解すると、

その心は善も悪も包み込む浄化作用を及ぼし、

すべてがうまく行く道へ向かわせてくれる。

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2010年5月17日 (月)

この世の仕組み:肉体の働き

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肉体の痛みにつづき、

肉体の理解をその大元の働きから見て見たいと思います。

病気になってからでは、遅いことがあります。

なかなか気づくまでに時間がかかり、気づいても、心の安定がすぐに得られるわけではありません。

肉体は心や精神とは違い、明らかに物質化されて、目に見えています。

そして、その外見をきれいに装って、美しさを楽しんだり、マッサージなどで癒したりスポーツで鍛えたり目に見える変化を目の当たりにできます。

それだけに外見の印象は人を判断するものさしのようでもあります。

では、その内部はどうでしょうか?

もう少し、奥が深いと思います。

昔、あるイグサを使って人の病気を治療していた方がおりました。その方は私にステキなお話をしてくださいました。

「赤ちゃんは女性の子宮を通って生まれてきます。子宮はお宮さんですから、とても神聖なものです。あなたは女性として、そのお宮さんも身体も神様からお預かりした神聖なものだから、食べ物には注意して、常に身体の中をきれいに保ちなさい」と。

つまり、肉体の内部に張り巡らされた無数の働きをもつ器官や臓器や白血球や神経系などなど…はそれそのものがまさに宇宙を表していると思うのです。

私たちはこの肉体の中に果てしない宇宙を内在させているので宇宙を難しく考えなくても

私たちひとりひとりが肉体(内部)をきれいに保つことで

宇宙的規模の秩序を保つという大きなお役に立てる役割があることを理解します。 

そして肉体をきれいに保つ方法はとてもシンプルです。

すべての存在が宇宙の大元の意識によって出来上がったもの。

私たちの存在も同じ。なのに人は自分を磨く前に他の役に立つ事を考えてしまう。

しかし、先ずはじめに自分の身体を神様からお預かりしたお宮で宇宙の歯車のひとつだと心得てそれをきれいにしたいと私は思います。

宇宙の大元の神々さまの入れ物になることを理解し、人のお役に立たせていただける日がくるまで、与えられた肉体をきれいに使わせていただきたいと思います。

身体を薬物で汚したり、肉食で汚したりすると宇宙の秩序を乱し汚すことになるのだと気づけるといいですね。

その営みがひとつでも乱れると、ゼンマイ仕掛けの時計と同じで、どこかの面が少し欠けても全体の歯車はかみ合わなくなるのです。

私も心で理解するまでには長い年月がかかりました。普段当たり前に過ごしてきた流れが滞るとその不便さが身にしみてわかります。当たり前に与えられていたものの働きに改めて感謝することに気づけて、ようやく理解できたのかも知れません。

では、その理解ができないために、身体が蝕まれてそれぞれの働きが鈍っているために起こるのが病や感染病などだとすると

やはり、どんなウィルスや細菌にも、そしてかなり飛躍しますが、核にもびくともしない体にもなれるものだと思います。

その為には体も、思いと同じ原理で軽くしていく。

身が軽くなれば行動を起こすことも変化に柔軟に対応することも楽にできます。

まずその為には食べ物を貪(むさぼ)らないこと。

自然の調味料で味付けした食べ物をまず、神様に(神棚)にお供えします。

外出してるときには、その場でその食事ごと神様に感謝して「お召し上がりください、私は神様からこの食事をいただきます。」と唱えてからいただきます。

感謝の気持ちを示す心得でもあり、また、神様にお供えしたものをいただくと、神気の入った食事が取れるので、食事の量は少量で済むと思います。

そして食事は一口ずつ、しっかり50回咀嚼して 頂きます。(ゆっくりと品もよくなります)

上歯と下歯を噛み合わせる=神。

畏れ多いですが、体が軽くなることは次元が上がることになります。

重力から少しずつ解放されていきます。大きなこの世のしくみの一部に貢献させていただく知恵です。

最終的に肉体と心と思いを繋ぐ3角形の3点が基礎になります。

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2010年5月16日 (日)

この世の仕組み:思いが肉体に与える影響

肉体は目に見えるものとして、その一つ一つの器官などの働きの解明は医学的にも整体や針灸でも学問として勉強できます。

思いや魂などの目に見えないものとは違って、

目に見えているのにその肉体の働きに無関心だった頃、

私は突然顔が原因不明のただれたケロイド状の皮膚炎になりました。

でもあまり、慌てませんでした。ただ、その辛さのストレスを誰にも向けられず

一人ベッドの上で陰陽の法則を勉強して、今の私に起こってる原因はなにかを知りたいと思いました。

身体の外に出るものは身体の内臓の働きが鈍っているせいだと理解しすぐに食生活を変えてみます。

しかし、やがてそれでなくてはいけないという強いこだわりが自分を凝りかためてしまってることに気付かされます。

今度は激しい痛みが、まるで身体が締め付けられて固まってしまったように腰を曲げることも歩くこともままならず、

はじめて走れない事に恐怖心を抱いたのは近くにある山頂公園で風の強い日に後ろから吹く風で身体が小走りに走れずに固まったまま、風の力に押されるまま身を任せるしかなく、

そのまま柱にぶつかるのを目の前にしてもコントロールできないのでよけられないと思った時の事。私は逃げて走れずにこのまま死ぬんだなーと胸が圧縮する思いで考えました。

そしてこの時恐怖心を乗り越えていました。

乗り越えると生きる思いをあきらめることが出来ると知りました。

恐怖心から少し解放されるとはじめて謙虚になる心も知りました。

こだわりを持つと人は傲慢になりやすいから、身体の腰の痛みによって、腰を低くしなさい、つまり謙虚になりなさいと体が教えてくれたのでした。

それを理解するまでに3年という時間がかかりましたが、それが府に落ちた感覚を持った時、こだわりを捨てました。

食べる物も拘らずに何でも頂くようになると、瞬く間に元気になってきました。

そして、あれから、4年経った今、こだわりは年々無くなって、思いは溜まることなく、常に浄化の時が定期的にきて自然なサイクルの中で、心と身体を軽くしてくれています。

正しい食生活は必要ですが、何でもこだわりは重い思いです。過ぎてしまうと身体を固くします。

だから、身体が痛いわけですね。固まりすぎて膠着して痛かったのです。

下半身の痛みは自分に近い人や進む方向などへの気付き。

腰は傲慢になっているという気付きです。

上半身の痛みは精神的なこだわりや苦しみなどへの気付き、または憑きものの場合や神がかりなども上半身(特に背中と首から上)にくるようです。

 このように肉体の痛みが何かの気付きを訴えていることを知る人はまだまだ少ないでしょう。

これは古代からの智慧です。

肉体の痛みを治すのは、何を意味してるのかに気付くことで改善されていくでしょう。

知識が無くても、生活の中で身を持って経験できると沢山の智慧が隠されている事が理解できるでしょう。

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2010年5月15日 (土)

この世の仕組み:思い

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思いが長い間積もった状態を掃除する働きを病気だと言うお話を前回させていただきました。

そこで今回は
「思いを上手に使う」お話をしたいと思います。

思いにはそれを実現させる働きがあるようです。つまりそれらは例えば人やものの事を悪く思っただけでも、それは思った側に思った通りにかえってくるという事。

人の行いに嫌悪感を抱いたり、嘘をつかれたり、言う事と行いが違う人やなんとなくその人の気から嫌な感覚を受けるなどしても…
自分にかえってきます。

いつからか私は他に責任転換して、自分は悪くないという感覚を持つようになっていました。果たして自分は本当に潔白で悪くない人間でしょうか?とんでもありません。とても傲慢でした。意地の強いだけの器の小さな、思いで凝り固まった人間だと気づきました。

とてつもなく申し訳なく思いました。

生んでくださって働きを与えてくださった宇宙の大神様に対して。

このままでは申し訳がたたない。変えなくてはいけないと思いながら涙が止めどなく溢れでて

まるで子供が母親に甘えて許しを乞うように,見えない存在に向かって何度も神様ごめんなさい、ごめんなさいと懺悔してました。

自分の未熟さを認められるようになると最近は少し謙虚になれたような気がします。そして高めようと思う意識が高まります。

凝り固まった思いが涙で洗い流されたよう。

自分を過剰評価しても
神様には全てお見通しです。

またダメな必要のない人間も存在致しません。

皆が皆のために存在しているので独りよがりでは発展がありません。

ひとりひとりが常に自分を高める思いの意識を持つ事が人間の本質の働きになると思うので

これでいいという思いは永遠に無く、
常に上昇する働きを永遠に求められているのだと思います。

高める思いを持つ。高めることは上昇することなので上昇するものは軽くなって何処へでも行けて変化もできて柔軟性にとんでます。

反対に下げる思いを持つと下向するので引力にむかって固まって落ちていくしかありません。

シンプルな原理です。

でも無理はしない。無理は重い思いとなって蓄積していきます。無理しない思いは軽いです。

それは3角形を思い描く思い。

ひとつの点は自分、
ひとつは相手や対象のもの、
そして最後の頂点には宇宙の大元と言う神様。

神様は全てをお創り給うた存在ですので
全てに神様の「気(思い)」が入った働きがある事を忘れない為です。

3点を繋いだ3角形は常に上昇しています。それをいつも意識して現象や出来事を見る事が大元の働きの想像力を養ってくれるでしょう。

すると全てが繋がっていて、応用ができる事にお気づきになるでしょう。

大切なひとつの繋がりは思いの他に私たちに与えられた肉体の役割(働き)を3角形から得る想像力の応用によって理解すること。

このお話は次回にいたします

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この世の仕組み:病気

病は「気」から。

その「気」とは何でしょう?
気は思いの塊のようなもの。または、きれいな気が枯れてしまった状態のことと言われます。

思いが積もり積もったから浄化して身体が元に戻そうとする働きが病気と言われる状態。

それは、逸れてしまった本来の人生の役割のレールに戻らなくてはいけないという気づきになります。

気を変化させる必要がありますよと身体が教えてくれています。

自然に身体が浄化作用をしてる最中の反応を現在では病気と判断されています。

ところが本来、病気は気枯れを治すことで自分で自分を改善できるものでした。

気が枯れているから、ウィルスなど細菌も入りやすくなります。

また、レムリアンの時代から病魔とも言われていたようですので、地上の3次元で無くなった霊魂の住む幽界や魔が病を起こさせる事もあると思います。

しかしそれも優しくてNOと言えない方や他人に頼りやすい方などは特に霊は憑きやすいようです。なぜなら思い通りに動いてくれるから。

普段の生活での行いが反映しています。

気を鍛え、人に左右されない強さを養う事がその方々の生まれてきた役割なのでしょう。

普段の自分の行いは案外思ってる以上に分からないものです。

自分はこうしてるから安心とか、大丈夫などと思う思い込みは霊や魔の思うツボになるようです。

その為に身体は思いが重くなり固まって、自分の思い通りにならなくなってしまうと病気になって、本人に気付いてもらうために訴えるのです。

常に思いは軽く、何でも入れ込み過ぎずに受け流して、常に世の流れに沿って変化していく柔軟性を心掛ける練習が大切になります。

そして、体験によって理解が深まると

宇宙の秩序を全体的に見える感覚を持ててくるので

次元と同じで、気が高まる事で思いは軽くなってくるでしょう。

受け容れてもすぐにその意味が理解できるので、

ひとつひとつを溜め込まずに流せるようになるでしょう。

気が高まると、思いが重くなって気を下げない限りは

気は常に浄化循環されてきれいで軽くいられるようです。

それは何も思わずにただ心で理解して行動に移すことのできる状態のこと。

次元は高くなるほどに気は軽く、無重力になっていく。

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2010年5月14日 (金)

この世の仕組み:大道への理解

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前回の大道について補足します。

これを行っていれば必ず良くなるから…と言われたから行う大道は今までの常識でした。

こうなるためにこれを行うというのが
今まで言われてきた大道と思わせる行いでした。

それは人によってはとても無理な事でもあったと思います。

ところがこの世の仕組みを体験によって身をもって理解できた時
私達は今までの常識に矛盾を感じてきます。

そしてそのときに
大道の本質を本当に理解したと言えるでしょう。

これからは
「こういう働き(役割)があるからこれを行う」という事が大道です。

この世の仕組みという大道があります。

これは宇宙の大元の意識がそれぞれの働きのために

お創りくださった様々な存在があることを理解すること。

つまり、それぞれがそれぞれの働きのために存在しており

その秩序を守ることが大道になります。

例えば、これは私がつい最近理解したことなのですが

肉食についてですが、

肉食を人間がしない方がいいと言われていますが

どうして?かを、ようやく理解したように思います。

この世のしくみの秩序です。府に落ちました。

つまり、宇宙の大元は人間のために働いてくれるもの、動物を創ってくださいました。

しかし、食べてもらうために喜んで身をささげるものには食物としての穀物や野菜や果物などを創ってくださいました。

つまり、働きが違うものなのに、人間が動物を食べるのは宇宙的にみると

ルール違反になるのですね。

神は動物を人間に食べられるために創られたのではなくて

本来は違う働きがあって存在してることを私たちは理解していかなくてはいけない。

このような見方の練習をひとつづつしていくのが

私たちの本来の大切な仕事です。

次回も日々の生活のなぜ?を私なりに理解したこの世の仕組みをアップしてまいります。

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2010年5月12日 (水)

人間の本当のお仕事とは?

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このたびはレムリアンとその使い方に関するアクセスが非常に多くて

こんなにもレムリアンの関心が高いことに大変驚いております。

そしてアクセス頂きました皆様とのご縁に感謝しております。

記事をお読みになっても「???」という方が多いでしょう。

もう少し、具体的に知りたいというお声も聞こえます。

しかし、方法の中でこれが大道というものはないのです。

ただあるのは宇宙の大元の真理という大道です。

そこに到達する方法は日常の中にたくさんある気づきの中で得られます。

本来はそれを体験して、理解を深めていただくことが一番の早道です。

そして、それはひとりひとり理解の方法や生き方(役割)は違うということを

本当に理解しなくてはいけないでしょう。

水晶がそのお手伝いをするために私たちに教えてくれます。

私たちが、宇宙の大道の真理を理解するために

一人一人に必要な教えを導くために、

ひとつひとつ違う使命を持つ石が存在します。

石は、宇宙の意識と明らかに繋がっている物質化されたもの、という一つの仮説が生まれます。

しかし、人間は仮説を科学的にではなく、

もう少し身近な自分の生活の場で、この世で生きてる限りは

皆が体験を通して生きて理解するという

大きな仕事が与えられているのだと思います。

このように、仕事を通して真理が分かると

いつのまにか、この世は変化していると思います。

だからすぐに変えようとしないで

急がないで、焦らないで、

一つの学びをやり遂げ、卒業したら、また一つと、一つずつ大切に次に上がっていくゆとりを持った心構えを練習していきたいですね。

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