石物語(天地創作物語)

2011年2月 6日 (日)

石物語「人々の戦」...第44話

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「お兄様、この頃よく鳥が空に向かって鳴いているのを見るのよ。何か天に異変が起こっているの?」妹のまどかは言いました。

窓辺に腰掛けて外の景色を眺めていた兄が手に持っていた紅茶のカップに口をつけてから、静かに答えます。

「まどか、ぼくたちもそろそろ準備をしなくてはいけなくなるだろう。天で起こったことはこの地にも移ってくるんだ。」

まどかは椅子に坐った兄に近寄ってきて

「どういうお話なの?教えてお兄様。」と言って兄の左足の上にそっと手を置いて自分も左横の床に坐ります。

「うん。この地は天の写しなんだよ。だから、ぼくたちも天の存在と同じ形をしている。しかし、すべてが同じでは無いんだ。天ではあらゆる存在は霊体としていきていてぼくたちの目には見えないけど、この地では霊体は肉体という衣を纏っていて、物質化されているから目に見える。ここまではわかるかな。」

「ええ、わかるわ。だってお父様もお母様もそちらに居らっしゃるんでしょう?」

「そうだね。ところがこの地と天の間には別の次元があってね。神の願いで創られた世界ではないようだが、どうやら死後の世界は永遠に続く霊体の世界だということを信じることなく亡くなった人間の霊魂の住む場所としてそんな人々の思いが具現化されて創られた世界らしい。亡くなった霊魂はほどんど皆そこにまず行きつくことになるんだけど。」

「じゃあ、お父様もお母様もそこに居るのね。」

「うん、この世の行いの浄化を終えてからそれぞれの霊魂の一番落ち着く場所の次元(国)へ帰っていくそうだよ。この世は霊魂の成長のための試練場でもあるから、ここで変化して次元を上げていくものや下がってしまうものもいれば、来た場所へ戻っていくものもいる。」

「ふ~ん。」

「しかし、その死後の幽界の影響もこの世は受けているから厄介な事もあってね。まあ、その話は今度してあげるね。

話を戻して、この世は天の写しであるわけだけど、この世の人間の肉体は元は清らかで神と共に生きていたから目に見えない世界も見えていたらしいんだ。しかしある時節がきて、尊い神様はその厳しすぎる我の強さゆえに八百万の神々より「煎り豆に花が咲くまで...」という永遠に叶う事のない呪文を掛けられ閉じ込められてしまった。

それから闇の大将が牛耳る世になり、尊い神の民はその親神様を忘れ長い年月をかけて闇の大将に胆を抜かれて穢れてしまったんだ。

そこで、ぼくたち人間は穢れを清めて火にも焼けることなく水にもおぼれることない透き通った水晶のような元の魂に戻る為に自分自身の戦をするときが来たんだ。」

「自分自身の魂を磨くための戦がなぜ戦なの?なぜその時が来たの?」まどかは首を横にして聞いた。

「戦というのは、それほど覚悟してかからなければ成就しないという意味でもあるんだ。なぜなら、自分自身というのは相手や皆をも含むんだ。自分は相手である。つまり、これは皆が共に戦うことだけど、殺したり壊したりすることではなくて、手をつなぐための戦なんだよ。

そして親神様は永遠の呪文が解けて岩戸の開ける時が近くなった。」

「お兄様、私、全然わからなくなっちゃったわ。」

兄は微笑みながら

「まどか、言葉をそのまま取らないで。ぼくの言ってる話の流れの中でそれぞれの言葉を解釈してみて。あまり頭でとらないで、心でとってほしいんだ。」

まどかの少し緊張していた顔が和らいだ。

「それでいいのね。私、一生懸命理解しようとしてたけど、もう少しリラックスして流れる音楽のように聞いていていいのね。分かったわ。」

「魂の戦が必要なのは、神と人とが融合するためなんだ。因縁も浄化され清めに清められた魂とその肉体だけが導かれるままに自我を手離すことができて神の衣として神の為にその御用をする事ができるんだよ。そしてそれが岩戸開きの鍵でもあるんだ...」まどかはいつの間にか眠りについていました。

すると、夢の中で美しい女神が現れました。

「まどか、教えてあげましょう。

高次元の神々には霊体のみが存在し、人間のように目に見える肉体を持ちません。よって、神は人間の肉体に宿られる事で神人が一体になって新たなる力を創造しえるのです。

そのため、神の民である人々は生きながらにして死を迎えることを極めるのです。

生きたまま心と身体の全てを神に捧げるために、本当の死ではありませんが自分というアイデンティティ―を放棄し宇宙の秩序にその身体を使っていただくために自らを清め極めるのです。

この行は滝に打たれるような厳しい修行とは違い、人それぞれの精神的なレベルによってどのように生きながらにして死を迎えるということを解釈するかは異なるために現在の心の状態がその解釈に現れます。

人によっては狭く頑なな心を持つ者やとても自由で広い心を持つ者などそれぞれの心の状態で解釈していくことで、今の自分のレベルや役割に気づく者も居ます。

やがて、人生で経験を積みながら成長していくにつれて解釈はまた変化していきます。

今の宗教の教えのように一つの解釈を絶対として強いるものではないのですが、間違った方向へ向かうと道がふさがれていくので、間違いに気づく事ができると元の本来の道に戻ることができます。

これは教えではなく行じることでしかその解釈の真意を見極めていくことのできない人間が歩むための尊い「道(みち)」なのです。それはそれは厳しく辛抱との戦いです。

宇宙の意志は一人一人の人間を尊重し、そしてそれぞれの成長に任せていつも辛抱強く見守り気づきを与えてくださるのです。

これが大神様の寛大さと慈悲深さなのです。だから、まどか、あなたも負けないで兄とともにこの戦を乗り越えられるように私達はあなたたちを見守っていますよ。」

兄はまどかをベッドまで運んでいくとかわいい妹の頬にキスをして部屋の扉を閉めて階段を下りると窓辺に坐ってまた物思いにふけるのでした。

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2011年2月 1日 (火)

石物語の世界

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神秘主義的な古代思想の文献写本の総称であるヘルメス文書に記されている言葉です。

「おお、エジプトよ、エジプトよ。

そなたの信仰は空虚な物語としてしか語られず、

そなたの子らはそれを信ぜず、

石に刻まれた言葉だけが残り、

そなたの敬虔さを語るのは石だけとなる。(略)」

そうです。いまや古代の真実の歴史を知る術はほとんどありません。しかし、ここで語られる「石物語」は存在しているものの縦のつながり(神)と横のつながり(その他の全ての存在)という十字型を理解し、それらを生活にあわせていくことではじめて見えてくる、古代から変わることのないこの世の秩序と調和の世界といういにしえの英知を、一二三廊(ひふみろう)という名前に秘められた秘文・碑文(ヒフミ)として、「石物語」がはじめてその第一話を

石物語「水の惑星」~第1話

http://123ro.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-f46d.htmlスタートいたしました。(第43話にて一時中断)

天地創造の神話に触れながら、遥か遠いいにしえの人々(レムリアンやアトランティスの人々を含む)から現在とこれからの世界を綴った物語です。

石碑の語る物語、石の建造物の語る物語、それらは風化しにくくほぼ永遠にその形を留める石に託され、後世へと天地の秘密の真実を伝えるために残されたのでしょう。

その石の語る物語を様々な文献に導かれて読みふける日々もありましたが、やがてそれらは現実の生活の中では記憶は忘却され、しかしその時想像し思いを馳せた美しい古代世界のビィジョンに再び導かれてキ―の打つ指が自然に動くままに綴ってきました。

そして今その世界を現実に合わせて生きることを経験させていただいています。単なる思いや想像の世界だけに留まらず行動することによってそのいにしえの英知を経験させて頂いていることに感謝します。

改めて、どのような文献や経典の世界もそれを本当に理解するためには現実の世界に合わせるように生活していかなくてはやはり難しいことも理解いたしました。

しかし、今の生活に合わせることは不可能ではありません。だからこそ、その行動力を必要とすることで石物語の世界の真実をここにこの指先が動くままに綴っていけたら本望です。

そして今年はじめての(少し間があるかもしれませんが)「石物語」が第44話からはじまります

どうぞお付き合いくださいませ

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2010年11月12日 (金)

石物語「神国」~第43話

日本と言われる神国があります。

水の惑星の表面にある目に見える世界の島国日本ではないところのようです。

人間でいえば肉体という表層部分(外部)ではなく、

深層心理という目には見えない心の部分があるように、

水の惑星にもその丸い球体の中に目には見えない高次元の神々の世界が人間が生まれる以前の太古から存在していました。

かつての超古代の科学の智慧の人々と精神の智慧の人々が表層部の大陸の生活から地下の高次元へと上昇した世界です。(*石物語「地下の高次元」~14話の前後をお読みください。またはバックナンバー2010年2月~3月をご参照ください。)

その高次元は天とも言われ、日本人が居り、日本があります。そこは神の国なのです。

そして太陽と月と星の輝く大宇宙が存在しています。

また、水晶などの鉱石は表層世界では見られない目を見張る高度な鉱石科学の癒しとエコロジーの世界が拡がっています。

表層部分の人々の住む世界は地下の高次元では外国と呼ばれます。

その外国ではまだまだ悪だけがその技術の一部を知っていて人々はその存在すら知り得ていないのです。

神国を中心とした地下の高次元の世界と表層部分の世界(外国)との間には地、つまり土があります。

土を作り固め給もうた難儀のお役目を果たされたのはこの世のはじまりの神々様でした。

この惑星の元々の人々の御先祖の神々様です。

人々はその恩恵を忘れて、自我を大きく育ててしまったあげくに神から遠ざかって悪を神として信じていた事を改め直して本物の神様に向かいすまないという気持ちを込めて

ただただ時間の過ぎるのも忘れて地の御先祖の神様に手を合わせて心から改心のための清めの祈りを続けるのでした。

(次回へつづく)

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2010年10月18日 (月)

石物語「改心」~第42話

宇宙改革は既にはじまっている。

天界ではその準備は整い、あとは神々の霊体の衣となる人間の改心が残されるのみとなりました

今までにも5度の改革がありましたが、どれも傷に絆創膏を張ったぐらいの治療でした。

今回は宇宙の根本からの建て直しになります。すべてがはじまりのはじめに戻るのです。

そうして人々は先祖(前世の自分)から代々現世の自分そして未来の自分(子孫)に至るまでの因縁のカルマという借銭を全て0になるまできれいさっぱりに無くしてしまわなくてはなりません。大元の大神様とその御役の神々さまが本当に改心できた人々を神々の衣(入れ物)としての新たな働きを与えてくださるのです。

戦いによって潰し合いはだれにでもできること。ところが泥沼になった荒地を作り固めるのは守護神でもできない、また他の星の人々もこの惑星の建て直しを手伝うために構ってくれようとしているようですが

この度の建て直しの仕組みは世の元の元の元の神々様の御力でないと行えない事なのです。

ところが、改心という浄化ができて魂も肉体も水晶のようにきれいに磨かれると、その最後の仕組みを人々は心で理解出来るようになります。

しかし、改心が出来ないでいるために、やがて人々の肉体を借りて予言する神様や他の存在が沢山出てこられます。

そして人々は砂糖にたかる蟻となってその予言のために未来にむけて取り越し苦労することになるのでした。

最後の仕組みには地上の神々様、守護神様にも知られてはならない、知らせてはならない、ヒミツであるから、それをこころで理解して欲しいと。

しかし建て直しは宇宙の存在(神様も悪魔も)すべてが含まれるのであるのだから、今までの常識の中の知恵や学識だけでは誰にも想像することができないほど恐ろしいものでもあり、また素晴らしいよろこびの世界への光の道そのものでもあるのでした。

新しい世では取り越し苦労する必要もなくなり、衣服や家、食べ物の作り方や食べ方も変わりお酒も煙草も全く違うものに変わって好きなだけ作れる結構な国になるのです。

それなのに人々は改心が遅れているためにその変化を心でとることができないでいます。

このままでは建て直しの神々様に申し訳がたちませんが

それでも建て直しの神々様がこれぞ神の民と認めた人々を引き寄せてくださいます。人間が意識的に動く必要はないと仰せになられます。しかし、必要でもあると仰せになります。

神様の御言葉は心でとらえてハラで理解し、額でその真偽を見極めるのです。そしてそれを生活に合わせていく行いが無理なくできてはじめて改心という世界の奥深さを理解できてきます。

そして改心できた身魂(みたま)はやがて、神々様とともに今後のためにその働きを担うことになります。神の民なのにそれができない者の身魂は神の民でない者が改心できた場合にはその改心できた身魂と取りかえて神の民に代わってその役目を担う事になります。だれにでもまた、できれば全ての者に改心ができて、それを生活に合わせていかれるように建て替えの神々様は願っておられるのです。

(次回へつづく)

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2010年10月 2日 (土)

石物語「大和魂」~第41話

「奇跡無いことが奇跡である」

神は簡単に奇跡を起こして人を信じさせる必要がなく

それだけに立派な存在です。

そして神と人が溶け合った姿が大和魂だと神様は仰せになられました。

それは大和=日本ではなく世界に存在する人々の魂の事でした。

浄化の行を行うことによって全てのカルマ(因縁)を無くさなくてはならないのです。

島国日本に捕らわれ凝り固まった常識は永久に崩れることなく真の日本を理解するのはなかなかに難しい事でした。

高次元の神様の心を理解しその心に成ってその働きをする事が「大和魂」なのです。

人々はしかし本当の日本の心を掴むために常識を忘却する事を理解できないでいました。

なかなかに常識を手放すように頭をリセットすることができませんでした。

それは未知の理解への恐れと不安があるからでしょうか、そしてその不安は大和魂に目覚めていないからでした。

もはや人々はお金を使う事よりもお金に使われている現状に気付く事が出来なくなっていました。

そしてお金は人々に使われるためのツールのはずが、先々の為に貯蓄したり増やすことに一生懸命になり、次第に寝ても覚めてもお金から切り離せない生活になっていきました。

ましてや全てを運命を任せきる度胸と覚悟を持つこともできません。魂を吸い取られ腹を決めることができないまでに落ちぶれてしまったのです。

神様はそんな人々が神の存在を忘れてその秩序と順番を乱してしまっている事を悲しまれます。

「大和魂を知らない人民の寂しさのみか神の寂しさは幾万倍ぞ」と仰せになられました。

そして人々は拝む順番を間違えていてお金ばかりを拝むので、一番初めに全てを御創り賜うた神様をまず信心した本心を込めて拝むことを優先するのが当たり前のことだと気づかせてくださりその後は何を拝んでも良いのだぞと厳しくも温かく仰せになられました。

浄化は改心でもありそうして磨けた魂を持つと神と人とが溶け合う事の許される大和魂を蘇らせる事ができるのです。

神様は人々に神の“き”の入った大和魂を植え付けられました。

それでもその「き」の入った魂を水晶のように磨き続ける事ができない者には灰にするしかその者を救う方法がないと仰っしゃいました。しかし、それもその者にとってはそれが最善の救いになるのだと。

すべての人々が大和魂に目覚めて欲しいというのが神様の願いです。またそうならなければこの度の神様と人々のご計画は成就できないために、人抜きで行えば地上の人々は皆…

…どうなるかは神のみぞ知る

しかし掃除が出来ずに曇ってしまった神の心に通じる内の内の…の内にある合わせ鏡を浄化の行によって曇りひとつない神の宿れる清らかな肉体に再びよみがえらせてその者に神が宿り神と人の合わさった大和魂がこれからの新しい時代を生むのです。

「神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう。魂の財産は金を得るより数倍六ヶ敷いぞ。ぬれ手で粟のやり方、カスつかむぞ。むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。」

「めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。めぐりは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。」

「世界の人民 皆改心せよと申すのぞ。どんなめぐりある金でも持って居ればよいやうに思うて御座るなれど、めぐりある金はめぐりそのものと判らんか。家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。幽界に住む者は一人々々は強いが孤立するから弱いのぞ。仲よう和してやれと申す道理判りたか。そなたは何万年の原因から生れ出た結果であるぞ。不足申すでないぞ」

(次回へ続く)

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2010年9月26日 (日)

石物語「御用の悪」〜第40話

暗黒の悪の世の中が次第に最後のあがきを伴ってその力が極限に達する時、いままでの常識や価値観は全てひっくり返り、見たこともない輝きを放つ見事な黄金の真実の時代へ変化をとげます。

最後の最後は悪の力に秘められている。

その悪は神様より悪の御用を担った悪であり、地上の善悪の本質は全ての存在の歓喜のためにその二義的な働きを担っているのです。

「陰極まって陽となり、陽極まって陰となる。」「悪極まって善となり、善極まって悪となる」仕組み。

善が善であるために御用の悪が必要で、これから変わる世の実施の為には人々が善悪についての認識をそのように改めて理解する必要が求められるのです。そしてその理解に向けて求められる行がありました。

それは難しい修行や辛さを強いるものではありませんでした。

神人はその行について人々に説明すると手のひらから石を出して人々に渡しました。

その石は透き通っていて水のように潤い、まるで水の雫が丸く固まってるように見えました。しかし手に取るとそれは硬い石でした。

「これは無垢の水晶玉です。丸い形は魂の形を表しています。」

「水晶はあなたの内なる力を増幅させてくれます。そしてあなたの曇った魂をこの透き通った水晶玉のように透明にしてくれます。あなたの先祖様はあなたの前世でもあります。そのめぐり(行なったことが良くも悪くも自分に返ってくること)をすべて無くして0にしなくてはなりません。水晶玉のように魂が磨かれるほどに真の理解が深まるのです。」

人々は浄化についてピンと来ないようでした。なぜなら浄化は神社などで専門的に払い清めてもらう事と思っていたからです。

しかし神人は言われました。

「私達は人として何一つ自分でできない事はありません。そのような理解ができる霊(たま)を本来は植え付けられているのです。ただその機能は埃をかぶっていて使われていません。あなたにそれを磨きに磨いて使う時が来ています。そしてそれができると、私の言う事が理解できるだけでなく全てがあなた自身の中で明らかに見通せるようになるのです。そしてそうなれば次の働きを担う事になります。」

そう言い残すと神人は消えて今の人々にはまだ見えない次元へと戻っていかれました。

そして高次元から人々をそっと導いてくださっておられるのです。

(次回へつづく)


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2010年7月18日 (日)

石物語「幸せになる仕組み」~第39話

この世は「陰がその力を精一杯出すほどに陽の力は更に大きくなる」事ですべての存在が常に繁栄を繰り返して変化しています。

暗黒の世が長い年月を掛けてその時代を繁栄するのを許されたのも

その真逆になる光の存在の次なる大繁栄の為という大神様の幸せの仕組みがありました。

今しばらくは暗黒の世の繁栄を見守り、

光の世がその大いなる繁栄の世にひっくり返るその時まで、

「ひふみ」に示された通り、気付いた人々はひとりひとりの魂と肉体に宿った因縁を浄化する行を行いました。

浄化の行ははじめは苦しいものでした。生活の中で如実に心の奥底に秘められた自分自身の内面の穢れがそのまま自分に返ってくるとそれと向き合って自分自身のカルマを認識していくのは環境が悪化するほどの辛さを伴いました。

それは愛する人との別れもありました。離婚も別居や死別そして気付いたら孤独になって暫くは寂しさの中でぐっとこらえなくてはならない年月が流れることもありました。

「人は自分の心の内にあるものを引き寄せる」

その穢れが晴れて浄化されてくるとはじめはすべてが悪化したかのように思われたものが、半年、一年、3年、5年、10年...になるにつれて内側から水晶の丸玉の透き通った無垢の魂へ変化し、一歩ずつ幸せになる仕組みが表れてきました。

ところが人々は直ぐのお陰を求めてしまうために中々に苦しい時期を乗り越えられずに、悪化する生活の中では神様に頼るゆとりも無くなっていきました。

人々は生活のためにとにかく働くことで一生懸命になり別の楽しみを見つけて、

浄化の行は忘れられ、暗黒の動きは最後のあがきのごとく、その力を様々な技巧を凝らせては人々を偽の情報で洗脳するのでした。

人々はただ目の前にある出来事、暗黒の洗脳や様々な偽の情報と自分自身の心配などに夢中になりました。

そこには神を忘れた自己中心的な暗黒支配の悪の思いやりと悪の愛を語る者がメクラにその愛を説いて回るのです。

すると神を忘れたメクラがメクラと手を繋いで歩く道は拡がりはなく、更に狭まり、悪の手の内に落ちていくのです。

神様は「全ては救われる、それが永遠の命を与えられる場合と、灰にするより仕方がない場合はあるなれど」とその御言葉を「ひふみ」に示されました。

神の深い御言葉に隠された意味の解釈は八通りあり、それは今の自分の心を表わしてくれました。

心が磨かれればその分だけ、意味は心が理解していけるようになり、そこに理屈では判り得ない秘文(ひふみ)の深さを感じる者もいれば、感じない者も居ました。

深い深い神の御心を、親の愛をあるいは異性の愛を、すべてを包み込む神の愛が伝わる者と伝わらない者が居ました。

そして、暗黒の力が極まると、その逆の光の力は少しずつ成長して、動かぬ中心から渦巻き状にその力を増幅させていき、「その時」はゆっくりと近づいてくるのでした。

(次回へつづく)

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2010年7月 7日 (水)

石物語「星に願いを」~第38話

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何処までも続く果てしない夜空に輝く星の群れ。
大宇宙の壮大な底知れぬ力は永遠に今を変化する。時間の観念は存在しない。高次元は永遠に今だから。

「君は星に向かって何を願っているの?」

「あなたはだれ?」

「僕は君の中にいる永遠の君。
神様は直接的には肉体を持つものに働きかける事は出来ない。霊体であるが故に君の肉体の奥に存在する霊体に感応しその霊体が肉体に伝達してくれる。

君の霊体は受取って伝える役目を持つ合わせ鏡と言われている。僕は君の合わせ鏡だ。」

「あなたは私の中に居るの?私の肉体の中に霊体を映しだす鏡があるの?それは見えるの?」

「いいや、見えないものだよ。少なくても今の君には見えない。見えないから永遠でもある。そして見えないから君の五感と超五感が感知する。

肉体のある次元の現象はすべて有限なんだ。だから苦しみも永遠には続かない。乗り越えたらそこで苦しみは終わり、そこに歓びが生まれる。歓びのために苦は必要で苦のために歓びが必要なんだ。歓びだけでも苦しみだけでも感謝の気持ちは沸いてこないし神頼みすることもないだろう。両方を体験するから人は見えない存在に感謝し、お祈りする。

君も星に願っていたね。

この次元は有限だからこそ、さらにその有限を超えて永遠につづくことを考えたとき、平面的ではない広がりのある立体的な次元を感じることができるようになる。はじめて見えないものの尊さと永遠の深さを感じとる感覚が芽生えてくる。すると願いは宇宙全体に叶ったものになり、それは永遠という時を超えて自我という小さな枠を出て全てという大きさへと拡がっていく。

それが合わせ鏡の役目なんだよ。君と僕の永遠で尊いもの。」

「願いが自我という小さな枠をでてすべてへ拡がっていく…。そうね、今の私の願いは私だけのものだわ。小さくて拡がりもない。永遠で尊いものか。私は有限の中にいるから目に見えない果てしなく拡がる永遠の感覚がわからないわ。」

「有限を超えて永遠であることを考えるんだ。君にとっては怖い事でもあるかもしれない。果てしなく続く無限の深さと拡がりは未知の世界なのだから。

0、5、10、25..50...100...果てしなく永遠にその数は広がっていく。その感覚を感じてみて。

そうしたら、君の中の合わせ鏡はさらに輝きを増し、見えない世界を君の感覚の中に映し出してくれるよ。そして高次元の感覚へと導いてくれるだろう。

今の君の願いは平面的で使い棄てのようなのに中身が思いでとても重いんだ。

永遠を感じられるようになってくれば、その深さと拡がりをもてるようになれば、君の願いは立体的で上昇する歓びに満ちた軽くて永遠のものになり、宇宙全体の調和のための願いに変わっていくだろう。」

「...ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら。ああ、まだ行かないで...!」

「僕は君の合わせ鏡だ。いつも君の中に居る。知りたいことがあればいつでも聞いていい。その答えを君の中の僕が神様から受け取って、君に伝えるから。僕は君だ。君はその答えを必ず受け取れるよ。」

七夕の夜はいつも雨で星が見えにくいけど、心の鏡はいつも曇り一つなく晴れている。という事は目には雨にみえるけど、その向こうは永遠に晴れていて織姫さまと彦星さまは永遠の愛を育んでおいでなのね。

すると雨の中、夜空の星が大きく光り、そうだよ、と微笑んでいるようだった。

(次回へつづく)

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2010年7月 1日 (木)

石物語「永遠の愛」~第37話

地上には天界から天使様だけではなく、魔界からも愛を知らない者が愛を学ぶために肉体を持って人間として生を受けることを許される事が稀にありました。

魔界にも穏やかな者達の住む世界があります。その世界から、天界を夢見て天に輝く星空を見つめながら魔界の暗い空の上のあの上の世界に行きたいという純粋な思いが神様に届き、地上に人間として生まれることを許された者がありました。

幼いころから、クールで大人びたところがあった彼女はいつも年上のインテリ風の異性との恋に落ちました。

ところが、魔界の者は愛を知りません。心は氷のように冷たく、人を平気で傷付け、また、ずるくしたたかでもありました。

そして多くの魔界の者は地上に生を受けても、また、魔界に戻りたがります。なぜなら、魔界の者にとってはその世界が一番落ち着く場所だからです。

ところが彼女はそんな他の魔界の者とは少し違っていました。彼女は天界にいくことを目標に神様に天界にいけるものとして相応しい学びのために人間として生まれることを許されたのです。

彼女には本物の愛を学ぶという使命がありました。そして、神様との約束が守られなければまたそれが許されることはないかも知れません。魔界に戻されると再び地上に生を受ける事は永遠に無いかもしれません。

しかし彼女は人間として生まれるとその約束や使命の事を忘れてしまいます。普通の人々同様、物質の世界で普通の人間の女性として育ちます。

しかし愛することを知らない彼女は愛されることで満足しそれが当たり前だと思って生きてきました。

しかしある時気づくのです。愛されようとすればするほど、相手に対する要求がもっともっととエスカレートしていくことに。理想通りの愛を相手が与えてくれないと、相手を冷たいと思うようになり、自分を愛してないのではないかと思い込んで居てもたっても居られなくなり、悲しさと寂しさと虚しい思いで胸が締め付けられるのでした。

愛すること愛されることの根本が分からず自信を無くしていく彼女は男女という二人の関係の中で生まれるあらゆる負の感情に左右され浮き沈みを繰り返す日々でした。

そんな愛に疲れ果ててしまいます。

彼女の心のどこかに愛は歓びのものであるはずなのに、こんなに辛くなるのは自分が愛に対する感覚を勘違いしてるのではないかという疑問が芽生えます。

どうしたらこの苦しみを乗り越えて、彼を愛することができるのかと毎晩泣きながら悩み続けました。

するとある夜、大好きな彼に対する思いを手放す夢を見ました。

朝起きると、昨夜の夢に起きたことを彼女は実行します。気持ちを手放してみることで何かが見えてくるのではないかという確信のような思いが湧き上がってきたからです。

思いを手放し棄ててみると、そこには彼と彼女ともうひとつ神様の存在による運命のご縁があることに目覚めていきました。

この世のすべてが陰陽だけで成り立っているのではなく、そこに命を与えてくださった神様の御意志があってすべてが成り立っているという真実があるということに。

すると、彼女の中にあった愛に苦難するわだかまりはきれいに払拭されて歓喜で満たされていくのを感じました。

神は二人が出会い彼女が彼の存在によって男女間で生まれるあらゆる感情を乗り越えて生長していく事を教えてくださっているのだと気付くのです。

運命はパズルのように必然的に組み込まれた行いと思いと言葉の揃った命のシナリオであり

彼女はようやく生まれる前に神様と約束した真実の永遠に変わらない愛を学ぶ使命に気付けたのです。

彼に対する思いは自我を破棄できて無我になって初めて与える事ができる。そんな誠の愛の心を身を持って体験しようと心に決心しました。自我を棄てられたら何があっても動じることがないのだから。

自我は、素直な気持ちの表現を憚ります。

自分を棄てなくては見えない誠実で真実の愛はそれを永遠にする力を生み出していきます。

そうして、真実の愛には終わりがなく、好きや嫌いという感情を越えて永遠であることを生涯身を持って彼女は彼への愛を与え続けていきました。

(次回へつづく)

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2010年6月21日 (月)

石物語「合わせ鏡」~第36話

雨は天から降りてきて、また、形を変えて水蒸気となって天に戻っていきました。

人々も同じでした。

地上に肉体を持って生まれて、死ぬと霊へと形を変えて天に戻っていきます。

こうしてすべては生まれては死に変わり、常に新たなる上のそのまた上の上の上の…高次元にむけて永遠に変化しながら栄えていきます。

これが宇宙を生み給うた神の心であり、

これにそぐわないものはその下の下の下…へ向かって栄えていくのです。

神が許し給もうているからその次元も存在しているのです。

なぜなら、陰と陽の働きがなくては更に新しい力は生まれないのが秩序だからです。

すべては善だけでは善の力を生み出さず、

また悪だけでは何も栄えず、

善と悪という2つの働きが区別されつつも溶け合うことで新たに栄える力が生まれ出るのでした。

悪の力にはその逆の善の力がそれを抑えようとしてそこにお互いがお互いの働きを理解してそれぞれの働きを生かし栄える為に新しい道を生み出していきました。

ところが、地上は暗黒の世の力が働きすぎて偏ってしまったために、自己中心で自己愛に酔いしれる人々で溢れ、自分を他と区別してそこに壁をつくり、和解ではなく、競いあって奪うことで欲望を満たしたり羨んだりする事に一生懸命になっていきました。

ここで本来は力を発揮しなくてはいけない善の力が弱くなりすぎて悪の力に抑え込まれてしまいました。

そうして人々の内側にある神に繋がる尊い中心である合わせ鏡はひどく曇ってしまい、その存在すら忘れられ、そこに神の力が及ばなくなった事に気付けなりました。

ひふみの神示によって気付いた人々から自分自身の心と身体の和合に向けた戦いがはじまっていきました。

合わせ鏡の力は本来善と悪を見極め、曇りを浄化することで悪を排せずに聖化する力を持ち、それは物質として目に見える水晶と同じ働きをもっていました。

その曇りを晴らすためには自己の外側と自己の内側を一つにする自分自身の調和が必要になりました。

そして、水晶の曇りなき透き通った清らかな姿を人々は目標としてその石を自己に置き換えて常に身に付ける事で浄化の手助けと導きをしてもらいました。

内側に眠る自己の神に繋がる合わせ鏡から光輝く気は曇りすぎて気枯れてしまい、自分自身が生み出した悪の想念が具現化した事すら見分けられずそれを他責にして、本物の神が感応することが出来なくなってしまったのです。

その曇った合わせ鏡を祓い清める浄化の道のりは、今までの常識を棄てて挑まなくてはなりませんでしたが、その道がはじめは厳しく、しかし進むごとに本物の親の愛というものに溢れていて、行じられていくと神様は必ず後にそれに対する御礼をしてくださる滅多にない尊い使命であると行じながら人々は悟っていきました。

なぜなら人々の浄化によってまた神様も救われるのだとひふみの神示には示されており、神と人とがお互いに溶け込り繁栄し歓喜していくための道の始まりだったのです。

しかし、甘い汁を味わいそれを守るために一生懸命になる人々にはそのひふみの筆は届かず、せっかく近くを通ってもその目には映らず、

ひふみの道は余りにも遠く遠ざかっていきました。

そして、人間としての本物の歓喜が何であるか、

本来の人間がどうして地上に生まれてきたのか、

人々の使命とその働きとは何であるのか、

その本当の意味は、人々が地上に生まれ肉体のある内に理解しなくては死んで霊体になってからでは更にその道は難しいというのが示された合わせ鏡の浄化の道でした。

その意味は浄化の道を進む者には体感によって肉体のある内に理解していくものでしたが

それゆえに人々にはその肉体の死の時まで余り時間は残されていませんでした。

(次回へつづく)

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