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2011年11月17日 (木)

顧みること

自分が不都合に見舞われたとき自分を顧みてみましょう。

例えば、ふと我慢できずに言い争った時、はっと我儘をぶつけていた事に気づいたり相手の事に無関心でいる自分に気づいたりします。気づいた時からあなたの心は開かれていきます。

この時から相手に新たなメグリをつくらせない為に、そしてまたあなた自身も言い争う事で穢れないために、あなたの自我を最後に控えて相手の思いを優先させることが大切です。

かといって無理して悪事をすると言う事ではありません。悪を悪いという判断をするとき私たちは自分が正しいと思っていると言えますが人を裁く心が悪でもあると言えます。悪と判断することは善悪と分け進む囚われた身となっている証だとも言えます。

まことしやかに事を成すとはそこに善悪の判断すらありません。そしてどんな出来事も有難く迎え入れられることでもあります。

でもどうしても分からなくてできなくて辛いとき真っ先にまず艮金神(ウシトラノコンジン)様に自分の行いをお詫びしましょう。何を改めなくてはならないのかが分かります。

神の理は秩序でもありますすのでまず始めに何をするべきかを知るだけで物事は大きく変わるのです。

物事の順序がわかると外れた道の因果が見えてきます。外れた道は必ず行き詰まるのでそれがあなたへのお知らせになります。神様からの白紙の御手紙を受け取ったのです。

行き詰まると自我はあなたの中で表に出ようとウズウズし堪えられずに自ら解き放ったり病気になったりしてお知らせが届きます。このように届いたお知らせを有り難く受け取り顧みて努力によっていただいた白紙の御手紙はあなたがあなたを浄化するために御守護くださいます。あなた1人では浄化する事は大変ですので神様の御守護の元で調和の秩序を理解し向上の学びの道を行じていきましょう。

あなたが変われば自然に回りが変わり、そして日本が変わり世界が変わっていけるでしょう。これが三六九(ミロク)の仕組みの一面です。

この道は無理に説く必要がありませんので教えではなく行じる道ですのであなたの行いが効を成すというものでもあります。説き伏せたり征服しようとすると行き詰まりますから、生かされてるままに全てを生かすことが私たちの生き方であり仕事だとも言えます。

型にはまることを「固まる」と言います。自我の一面は固まることなので必ずそれでは行き詰まってしまいますから、言葉を話すは「放す」と言って自我の固まりを解き放つために言葉で放すこともあります。

本来は固らなければ言葉で「放す」必要が無くなるので良い響きの言葉しか必要でなくなる、という道理だという事に気づけますね。

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