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2011年11月24日 (木)

行じること

行とは言葉の教えではなく自らの行いによって背中を見せて広めていくように他を救っていくことでもあります。

ここで申し上げる行とは今世で肉体のある内に曇り一つ無い澄みきる水晶の身霊へと磨いていくことです。

言葉少なく慎ましく生きることでもあります。

またどんな不都合にも囚われることなく揺らぐこともなく、その意味の因果を理解しありがたく受け容れられるようになることでもあります。

決してすぐのお陰はありませんが、囚われない苦しみを体験しながら、

一歩一歩先に行くほど無限に弥栄していく道でもあります。

無限の世界を表として考えるようになり

生かされある天地に感謝することが自然にできてきて、自我を深く高く大我に融け入らせた調和そのものであるという体感をしていくことでもあります。

嬉し嬉しですね。

「火立ち土透み水鳴るが、神立ち幽透み現鳴るが、霊立ち力透み体鳴るが、口立ち心透み行鳴るが、一二三マコトの姿鳴り、マコトヒフミの姿鳴り。日立ち月透み地鳴れば、この地ミロクヘ結ぷ鳴り。スミキルマコトの無かりせば、適わぬ事と知れぞかし。」(火水伝文)
  
[汝の体を支えるに神々がいか程のご苦労をなされて居るか、ちいとは解かりて上げなされよ。
汝ご自身がひっくり返した真釣りの数々を、一言の文句も言わぬどころか、尚、慈愛の笑み持て、メグリ少なきを量られて居るのぞ。」(火水伝文)

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