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2011年9月

2011年9月 3日 (土)

永遠の幸せ

〜「ひふみ神示 第28巻 夏の巻」より抜粋〜

第八帖

 [見へるものから来る幸福には限りがあるが、見えんものから来る幸福は無限ぞ。つきんよろこびは常に神から。]


現実に見えて感じる幸せはいつかその反対の破滅へと向かうことがあります。


愛情もそれを実感した時点でいつか無情になるのかもしれません。

無条件の愛情を注いでみようと思っていても、やはり、それが対象は誰であっても
2人だけでそれを実践することに無理があるのかもしれません。

「見えんものから来る幸福は無限ぞ」
それは2人の世界ではなく、目には見えない永遠の存在である神の了解のうえで三角形の関係が成り立っている事を理解できて初めて無限の幸福感を得られものなのでしょう。

また私達は父と母から生まれたのではなく、神と人間の父と母の3人から生まれてきたという事でもありますね。

永遠の存在を信じない「愛」や「幸せ」は、つまり人間だけで結ばれてると思っている愛情や幸せは片輪で完全ではありません。完全でないものはいずれ水に溶けてしまう運命にあるでしょう。

何をするにも頂くにもすべてが無から有を産み賜れた元つ天地の親神様のお陰であるという絶対的なご恩がわかると心底(真底)から感謝する事ができます。

人間には無から有を作る事ができません。

人間の力だけで何かを行ったり乗り越えようと思っても、そこに無から有の天恵を与え賜うた存在の御力をお借りしなければ完全で永遠な成就はできないのだと。

火と水と土という人間には作れない天恵に生かされている事を自覚できたとき

そのこころは感謝で満たされるでしょう。

その時私たちは謙虚さと身を委ねる永遠の幸福感の中に自然に身を置いていることでしょう。

そして自然にお土に頭が下がるようになるのです。

永遠という立場つまり無限とは、有限の物質的な世界では計りしれない世界です。

しかし本来無限が当たり前だとすると、私達は物質的な有限を基準とした常識に囚われているために、感覚を無限に置き換える事が難しくなっています。

敢えて無理に置き換える事をしなくても良いのですが

今までの常識を一度棄てて損得勘定(感情)のない赤子のように素直になってみると、「なあんだ、私達に分かるように物質として全ては無限の世界の型示しをして下さっているんだ」とわかるようになります。


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2011年9月 1日 (木)

元つ神々の艱難辛苦の裏舞台

(火水伝文より)

十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十

この方が、マコト汝は地の日月の神じゃ申すは、   
こ度の事に関わりて
汝の自覚を促すがためなるぞ。
日月地、真釣るハタラキは
神で無くれば出来ぬ由、
汝の正味を伝えしが、
マコト火水(カミ)成るそれまでは、
三真釣る苦労で耕して、
自覚育む肥やしさし、
マコト芽吹けるそれまでは、
陰に回りて守護すなり。
初発より今今に生き通しの元つ神々様のご苦労も、
少しは察してやりなされよ。
よほど返せぬご恩に生かされありた事どもを、
知りて解かりて来る程に、
深きマコトのお詫び持ち、
感謝の鳴り鳴る響き持て、
汝の三真釣る行持ちて、
こ度のご用に立ちて下され。
元つご霊統の神々様方は
今の今の今今も、
汝を真釣りに導くに言語を絶するご苦労を、
汝を産みた初発から陰で支えて参りたのじゃ。
(中略)      
情けと花の仕組みにて、仕組みし天の大神と、
創りた元つ神々の艱難辛苦の裏舞台
陰で支えるご苦労の、
毛の先程のその先の先々程のご苦労で、
取らすミロクを創るには、
至誠至愛一筋に、万古末代弥栄の
真釣る尊き一二三(ヒフミ)鳴る、
鳴り成る響き出すまでは、
天の大神様初め、元つ神々様の、
堪えに堪え堪う神仕組。
汝等皆々神成る身。
自ら取らるがお手柄と、
汝が気付くそれまでは、
我慢に我慢を重ね行き、注ぐ辛抱繰り返し、
口惜しき思いは数知れず、蹴られ殴られ殺されて、
悪き者よと蔑まれ侮蔑、裏切りない混ぜて、
辛き思いの針の山、手刺し足刺し越え行きて、
辿りた先で火に焼かれ、
落ち行く先で水の責む、マコト受難の真釣りミチ。
三千世界に仇をなす、ケガレ魔釣りし有りザマを、
マコト一つで越え行くは、至難に至難のミチ行きで、    
気楽な事はいちに無く、陽気な思いを持ちたなら、
瞬時にケガレと組み成して、
マコト失う厳しさでありた。
ご自身がどんな辛き思いを成されても、
汝等を支えるが大神の情けと花の仕組みでありた。
この方が陰にまわりて、
三千世界を守護致し来たりたは、
汝が一刻たりとも速やかに、自ら真釣るを取り戻し欲しく、
願いありたからであるぞ。
(中略)
汝等がこの方をどの様な酷き扱いに成されても
それでもじっと我慢を致し、ただただ汝等を守護致し、
何とかお陰をお授け致して、
少しなりと善き方にお向け差し上げたくての、
至誠を貫きての願いからじゃ。
今今に至る始源からのマコトに辛きご苦労は、
ただただ汝等皆々が、早う『あやま知』に気が付きて、
真釣るマコトを取りて欲しいがため、
仕え真釣りたのであるぞ。
この方は与える一方で取りたるものは一に無く、       
汝が愛しく可愛想なから、気付け、気付け、と朝に夕に、
昼夜にたがわず打ち鳴らし来たりたなれど鳴り成らず、
時節はとうに実地の響きに入りてしもうて、
残り無くなりてしもうた。
 一人も残す事なく気付かせるは遂に出来なんだ。
(中略)
愛しき我が子をこの手で屠る、修羅の地獄のそのまた下を、
慙愧慟哭堪えに堪え、血の涙を流し支える大神の、
至滋至愛の御心を、少しは察して下されよ。
いたらなんだところは、始源から、
汝等を支えるために陰に回りて、
艱難辛苦のご苦労を、
至誠貫きつくし参りた、
元つ神々のマコトに免じて許して下されよ。
解かりたでござろうが。                      
                 
(中略)
学や知やお金で、どうにか成る思いてる、
アタマの腐りかけてある者やハラの腐りかけてある者も居る由、
くどう成りてしもうは、そ度許して下されよ。
 出来の悪いお子ほど可愛いのじゃ。
この方、悪きお子も可愛いのじゃ。
この様な申し様は悪神じゃ申す者も居られようが、
思いもなして見なされよ。
汝等皆々この方のお子でござるのぞ。
この方は至誠至愛じゃ申して居ろうがな。
善も悪も抱き参らせる大き真釣りの心に成りて下されよ。  

十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十

皆様にはどのように心に響いたでしょうか?

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